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2008年10月29日

わが宿の 垣根に植えし 百草の花 咲く秋は 近づき




★ 良寛さんの歌と遊ぶ『 百草 』

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わが宿の 垣根に植えし 百草の花 咲く秋は 近づきにけり

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 花呼さんより 『 秋風や慟哭の内真生(あ)る 』 に良寛さんの歌を寄せてもらいました。
 花呼さん、いつもあい風ありがとうございます。


 わが宿の 垣根に植えし 百草(ももくさ)の花 咲く秋は 近づきにけり   良寛


 春は花夏ほととぎす秋は月 冬雪さえて冷しかりけり   道元


 雪月花の風雅を、道元さんに倣って、こよなく愛してきた良寛さんです。
 日本人にとっての、花、月、雪、風は、ただの飾りでもないし、自然の恵みでもないようです。命そのもの、自分そのものという意識が強いのではないでしょうか。
 己を知ることのはじまりが、花鳥風月にあるのかもしれません。
 己を知った証が、花鳥風月になって表れるのかもしれません。

 良寛さんの愛語も、花の心から生まれました。
 そして、愛語は花になっていきました。


 形見とて何か残さん春は花 山ほととぎす秋はもみじ葉   良寛

 

 紅葉や独り山路の地蔵かな





 。。。 ≪ 花呼さん、おはようございます。
 雨も上がってよかったですね。筑後も、秋風のすずしいいい季候となりました。暑さがぶり返さないように願いたいですね。豪雨の被害も相当なものでしたね。まだ台風が残っています。越後は台風は大丈夫ですか・・・ちゃんと備えておきましょうね。

 お仕事、頑張りすぎないように、してくださいね。


 わが宿の 垣根に植えし 百草(ももくさ)の花 咲く秋は 近づきにけり   良寛


 良寛さんは、詩歌を楽しむ人ですから、やはり花が大好きなんですね。
 草庵に七草を植えて花が咲くのを待つ心がいいですね。
 花呼さんの所は、庭が広くて、様々の花が季節にあって咲くんですね。お世話も大変でしょうけれど、花に元気も愛語ももらって、Happyですね。うらやまには、もう、野草が花咲きはじめる頃でしょうね。野の花ご紹介くださいね、楽しみです。


 百草を裏山に見る人や善し ≫ 。。。





icon25 ★★★ 『 秋風や慟哭の内真生(あ)る 』 ★ 交心俳句 09601 へどうぞ!!!  ♪♪♪ icon25






★ 交心俳句 09901

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百草を裏山に見る人や善し

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Posted by 青柳仁 at 14:07Comments(0)良寛さんの歌を遊ぶ

2008年10月28日

荒磯海の 沖つみ神に まいしなば 栄螺の蓋は けだしあらむ


 ★ 良寛さんの歌と遊ぶ 『 栄螺の蓋 』

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荒磯海の 沖つみ神に まいしなば 栄螺の蓋は けだしあらむかも

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花呼さんより、 『 寄る辺なき心の捨て場春の山 』 に、良寛さんの歌を寄せていただきました。
花呼さん、いつもあい風ありがとうございます。

★★★ 『 寄る辺なき心の捨て場春の山 』 ★ 写真俳句 0801601 ♪♪♪ 


 荒磯海(ありそみ)の 沖つみ神に まいしなば 栄螺の蓋は けだしあらむかも  良寛


 栄螺の蓋を探している良寛さんの姿が微笑ましいですね。
 
 けれど、良寛さんにとって、食と同じくらい大切なものがあるのでしょう。
 「人はパンのみにて生きるにあらず」
 良寛さんが求めたものは何だったのでしょうね。
 「栄螺の蓋」に何を見ていたのでしょう。


 文学を愛した良寛さんがいました。
 スピリットは文学を超越していたかもしれませんけれど、
 ひとり遊びの心は、文学を遊んでいたのでしょうね。

 出雲崎で、沖つ神に、祈って海を眺めていれば、その先に、佐渡島が横たわっています。
 良寛さんは、この海と佐渡島を眺めて過ごしていたのでしょうね。


 いにしへに かはらぬものは 有磯海と むかひに見ゆる 佐渡の島なり  良寛


 古来変わらぬものがある。
 それは、この出雲崎の海と沖に見える佐渡島だね。


 そして、この出雲崎には、芭蕉さんの心が刻まれています。
 良寛さんも、芭蕉さんの心を追ってもいたのでしょうね。・・・



 仁は、茄子の花を眺めながら、
 良寛さんの心の海を遊泳しているのでした。


 その良寛さんの心の海に、
 栄螺の蓋に乗って、
 貞心尼さんが流れてくるのですよ・・・





 。。。 ≪ おはようございます、雪割草さん。
 今朝の良寛さんの歌とあい風をありがとうございます。
 愛語あいパワーをもらって前耕後読の一日の始まりです。

 前耕といっても、狭い庭ですから、もう耕すところも、世話する野菜もないのですけれど、午前中は、のんびり、木や花さんたちと会話して過ごします。
 今朝は、庭の隅の藪のようになった卯木や山吹を伐って、茶花椿も剪定して、風通しをよくしました。すると、ほろほろ鳥のように卯木さんが歌って、喜ぶんですよ。
 新芽を出したばかりの芭蕉さんも、根元からばっさり伐りました。
 芭蕉さん、大好きなんですけれどね・・・。


 荒磯海(ありそみ)の 沖つみ神に まいしなば 栄螺の蓋は けだしあらむかも  良寛


 良寛さんも、言葉遊びが好きなんですね。
 ひとり遊びは、自然や宇宙との会話ですから、やっぱり言葉が命なんでしょうね。自然や宇宙を言葉で捉えて、言葉に命吹き込むのでしょうね。言葉で愛を交感するのでしょうね。良寛さんの心に触れると、物も、世界も、愛語に変わっていくようです。

 世界はアニマで成り立っているのですから、自分がアニマに戻って、世界と向き合えば、アニマのシンクロが起こるのでしょう。沖つ神もアニマですから、お参りして、お願いすれば、栄螺の蓋もアニマになって、ココニイルよ、と応えてくれるのです。
 お祈りして、ココニイルよ、と呼びかけられるまで、さぁ、待つことにしますか・・・

 独り身のひとり遊びですから、
 別に塩壺の蓋がなくてもいいのです。蓋は、栄螺でなくてもいいのです。
 でも、やっぱり、栄螺を探し出して、塩壺の蓋にします。
 沖つ神さん、アニマの力発揮して、探し出してくださいよ。


 ここにも、待ちの良寛さんがいます。
 良寛さんは、いつだって、待つ人だったような気がします。
 その時を、待っている。

 その至福の時。
 その永劫回帰。
 今とここを、
 何も持たずに、
 何も求めずに、
 喜び、
 楽しめれば、
 それが、至福の時。
 それが、永劫回帰。


 そんな至福の時の、今、
 そんな永劫回帰の、今、

 貞心尼さんが、流れこんでくるのですね。


 沖つ神が栄螺を探し出してくれたように、
 良寛さんの空即是色力が、貞心尼さんを呼び込んでいくのです。




 栄螺の蓋は、空即是色する良寛さんの心の花なんでしょうね。
 そして、その心の花は、貞心尼さんに化身していくのです。



 今日は、前耕後外出で、コメントのおかえしが送れました。
花呼さん、いつもありがとうございます。  ≫ 。。。





★ 交心俳句 01101 

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飛び込んで茄子の花海遊泳す

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Posted by 青柳仁 at 23:40Comments(0)良寛さんの歌を遊ぶ

2008年10月27日

時鳥 汝がなく声を なつかしみ この日くらしつ その山のべに

 はじめまして、青柳仁といいます。
 良寛さんの歌を、
 我が儘仁流に読み込んで、
 凡仁風に使い込んで、
 愚仁として、Happyになれればいいなぁと、念じながら、

 良寛さんと遊んでいこうと思います。

 いわば、暇仁の、ひとり遊びですけれど、
 そんな暇仁と遊んでくださる方は、

 交心、お願いします。

 交心できれば、最高に、Happyです。





★ 良寛さんの歌


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時鳥 汝がなく声を なつかしみ この日くらしつ その山のべに  良寛

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 花呼さんより、 『 立浪草所も人も選ばざる  』  に良寛さんの歌を送ってもらいました。
 花呼さん、早朝のあい風ありがとうございます。


時鳥 汝がなく声を なつかしみ この日くらしつ その山のべに  良寛



 時鳥は、万葉の頃から、行く春を知らせ、夏の訪れを告げるものだったのですね。
その声に、過ぎゆく時への哀惜とか、望郷の心を呼び覚まされたのでしょうか。


 青山の 木末立ち潜き 時鳥 鳴く声聞けば 春は過ぎけり  良寛


 草木茂る草庵の棲み家は、鳥の声、野の花を愛で、風の音に天地の音楽を聴く楽しみしかありません。古人は、鳥の声をどんな風に聞き、草木とどんな会話を交わしてきたのだろう。そんな古人の伝統をふまえて、良寛さんは、自分の世界を創りあげていったのでしょうね。

 今日一日の暮らしは、来る日も来る日も、変わることなく、風が小さな生き物たちの息吹を伝えてくれるばかりだ。その中で、血を吐くようになく時鳥は、心を揺すぶって、燃焼する命を呼び覚ましてくれるものだよ。これから、夏の一時、けたたましく鳴いて、求愛して、また、大陸へ戻っていくんだね。

 生きるって、切ないね。
 生きるって、さびしいね。
 けれど、
 生きるって、素晴らしいね。

 この短い一時を、
 命のままに、
 自由に生きていこうよ。


 時鳥の鳴き声を聞きながら、自然の恵みを享受し、至福の時を、今日も過ごしていますけれど、
 この懐かしさは、何だろう・・・。

 この人恋しさは、なぜだろう・・・。


 やっぱり、至福の中でも、良寛さんの心のどこかに、空洞があって、
 さびしい風が吹いているのでした。



 それを、まもなく、開示してくれる運命的な出会いが待っているのですね。


★★★ 『 良寛貞心尼相聞歌 01 』 ♪♪♪ 
 




★★★ 『 杜鵑山を動かすマオもゐる 』 ★ 写真俳句 0802102 ♪♪♪ 




 。。。 ≪ 花呼さん、おはようございます。

時鳥 汝がなく声を なつかしみ この日くらしつ その山のべに  良寛


 時鳥の声を聞いたことのない仁は、この懐かしさを知りませんけれど、
 それでも、この情景と心が、懐かしく想われます。
 ものを思い、所を思い、人を思う心は、共通するのでしょうね。
 そして、その思いの中には、さびしさと人恋しさが流れているような気もします。
 故郷の安堵を求める心もあるのでしょうね。


★★★ 『 杜鵑ついに幻の恋となる 』 ★ 交心俳句 00301 ♪♪♪ 



 国上寺の彼女と、心がシンクロしていたのですね。
 心は、深いところでつながり合っているので、逢いたい、語りたいと念うと、念いの波動が伝わるのですね。
 花呼さんの彼女を大切に思う心に愛語が花開いて、彼女の心を喜ばせてくれるでしょう。

 まったく自由な4時間を、天から頂いたのですから、
 天の声、地の声、花の声を聞いて、愛語を温めてくださいね。


 今朝も、遠い空から、あい風もらいました。
 良寛さんと同じように、愛語の音楽聞くことができて、Happyです。


尾根を越え念い伝えよ時鳥 ≫ 。。。





★ 交心俳句 01001 

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尾根を越え念い伝えよ時鳥

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Posted by 青柳仁 at 15:59Comments(0)良寛さんの歌を遊ぶ