2014年12月25日
『 われのみの知るわれいずこ草の露 』めぐり逢い良寛さん
★ 。・。・゜♪゜・。・。★ めぐり逢い良寛さん ★ 。・。・゜♪゜・。・。★
★ めぐり逢い良寛さんzbm2602tk25
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われのみの知るわれいずこ草の露
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雪呼さん、いつもあい風ありがとうございます。
降ったりやんだり、雨の日がつづきますね。
そして雪に変わっていくのですね。
もっと北のいぐねさんのところはもうずいぶん深い雪が積もっていましたね。溜息が出そうになります。
筑後は今朝は晴れ、明日からまた雨だそうです。今年は少しは雪が多く降るのかもしれません。・・・
★ 良寛歌0613-01zbm26tk25
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いかにして君いますらむこの頃は雪解の風の日日に寒きに
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いかにして君いますらむこの頃は雪解の風の日日に寒きに
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さすがに寒さには弱くなってきたのでしょうね。
< 日々寒さの増す、この雪模様の冷たい風の中、あなたは今どの様にお過ごしですか。既に里へ移住した後に、わざわざ国上を尋ね置き手紙をしてくれた弟由之への優しい兄弟愛。(全国良寛会)>と解説にあります。
雪気風忍びに忍びただ忍び 仁
忍びの心相寄り添いぬ
遍澄さんが良寛さんの弟子になったのは、1816年の夏のようです。
良寛さん59歳。遍澄さん16歳。貞心尼さんは、(19歳です)。
良寛さんの健康を心配して五合庵から、国上山麓の乙子神社草庵へ引っ越すことにしたようです。さすがに良寛さんも遍澄さんの提案を拒めなかったようです。何しろ身の回りの世話の一切は遍澄さんがしてくれるようになったのですからね。安楽を選ぶほどに丸くなった良寛さんがいたのか、それとも体の衰弱を自覚した良寛さんがいたのでしょうか。
それにしても、弟さんへの心配り、やさしいですね。
家を捨てた負い目もあるのでしょうけれど・・・
この乙子神社の草庵で、また10年暮らすことになります。
良寛さんの弟子入りをした遍澄さんもおもしろいですね。良寛さんと同じように家業を捨てて良寛さんの弟子になりたいと願うんです。16歳。
文芸への強い憧憬。
この時19歳の貞心尼さんも、文芸への限りない夢をふくらませていたのでしょうね。
貞心尼さんが良寛さんに弟子入りを発心するまでに、まだ、10年の歳月が流れます。離縁された頃から、発心はあったのかもしれません。この10年の貞心尼さんの歳月も、興味深いものがありますね。
世の人はわれを何とも言はヾいへわがなすことは我のみぞしる 龍馬
龍馬さんの脱藩も16歳ですね。
16,17歳の自己実現への決断の時というのはすごいものがあるのでしょうね。
そんなことも良寛さんの出家と重ねて考えてみたくなりました。
遍澄さんは、「あれは、鍛冶屋良寛だ」といわれて、世間からはばかにされていたそうです。良寛さんも遍澄さんも龍馬さんも、子どもの頃は心優しいばかりの泣き虫、落ちこぼれだったのですね。
われのみの知るわれいずこ草の露 仁
小さきながら吾の拠り来し
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寒月や絶句で終わる吾が十九 旅仁
喜寿まで生きんと今在るが好し
★ 交心俳句tk2503
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寒月や絶句で終わる吾が十九
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寒月や絶句で終わる吾が十九
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