2019年12月16日
『 光があるから光堂は要らないよ 』瘋癲老仁妄句131-02hrz22
★ ゜・。・。 ★ 瘋癲老仁妄句 ★ 。・。・゜ ★
平泉の光堂へ、芭蕉生誕300周年に、ツアーで行ったことがありました。
ツアーは忙しくて、あんまり好きではないのですけれど、芭蕉の跡をたどるというので、行ったんですけれど、やっぱり、あんまり記憶に残らない旅でした。
老仁は、元来、記憶力に弱くて、どんなに感動した映画も、よく覚えていません。どんなに大好きになった場所も、日時や詳細な記憶はほとんどなく、断片的な記憶が、あれもこれも、ゴチャゴチャに、漂っているだけなんです。
そして、想い出そうとしても想い出さないけれど、ふとしたときに、何の脈絡もなく、ふっと、浮かんでくることがあります。
集中力がないし、過去を過去として、日記風に、あんまり振り返らないし、人に語ることもないからでしょうね。
明日をしか見ず、明日をしか語らず、大事なことは、意味を見つけ出すことだっていう習性のせいなのでしょう。
今では、意味よりも、事実そのものを、一つひとつ、大事に生きようと思うんですけれど、古い習性は、消えるものではありませんね。
たくさんの人たちと出会ってきましたけれど、やっぱり、忘却の淵に、浮き沈みしていきます。歴史上の人々も、現実の人々も、同じように、浮き沈みしていく時空の存在になってしまいます。
一人ひとりの出会いと出来事を大事にしていくには、もう、時間もなくなりました。
要するに、振り返れば、ただ、風が吹いているだけ・・・
そんな生き方しかできなかったのですから、それはそれで、よかったのかもしれません。
風が吹いているだけで、
何にも残らなくても、Happyだと、感じているのですものね・・・
光堂も、儚い夢の痕・・・
人々のドラマを観ることなのでしょう。
光堂には、人々のドラマが、
森には、自然のドラマが、
そして、光は、人々も、森も、
あらゆるものを、等しく、照らしつづけてきたんですね。
露に光る光の美しさは、
やっぱり、かけがえのないうつくしさなんだと、感じます。
暗がりの、微かな明かりも、やっぱり、うつくしいなと感じます。
特別美しいものも、在るに違いありませんけれど、
老仁は、もう、特別美しいものを求めようとも思わなくなりました。
それなりに、それなりに、
一つひとつが、うつくしい。
みにくいものなんて、
実は、ないんだって、そう、思うように、なってきました。
美しいと思うものも、
醜いと思うものも、
みんなつながりあって、
みんな支え合って、
この世界の営みが成り立っているんですものね・・・
けれど、やっぱり、あなたのあいがほしい・・・
煩悩も、また、よし。
(08-01-22)
以上、 【 転載 】 です。
★ 。・。・゜ ★ 青柳仁リンク ★ ゜・。・。★
★★★ 『 草の露小さく生きて光たし 』瘋癲老仁妄詩131-08 へどうぞ!!! ★★★
★★★ 『 今はまだ届かぬ思い汝も吾も浅きに拠りぬ深く降り行け 』瘋癲老仁妄詩134-03 へどうぞ!!! ★★★
★ ゜・。・。★ そのまんま575で交心 ★ 。・。・゜ ★
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光があるから光堂は要らないよ
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光があるから光堂は要らないよ
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平泉の光堂へ、芭蕉生誕300周年に、ツアーで行ったことがありました。
ツアーは忙しくて、あんまり好きではないのですけれど、芭蕉の跡をたどるというので、行ったんですけれど、やっぱり、あんまり記憶に残らない旅でした。
老仁は、元来、記憶力に弱くて、どんなに感動した映画も、よく覚えていません。どんなに大好きになった場所も、日時や詳細な記憶はほとんどなく、断片的な記憶が、あれもこれも、ゴチャゴチャに、漂っているだけなんです。
そして、想い出そうとしても想い出さないけれど、ふとしたときに、何の脈絡もなく、ふっと、浮かんでくることがあります。
集中力がないし、過去を過去として、日記風に、あんまり振り返らないし、人に語ることもないからでしょうね。
明日をしか見ず、明日をしか語らず、大事なことは、意味を見つけ出すことだっていう習性のせいなのでしょう。
今では、意味よりも、事実そのものを、一つひとつ、大事に生きようと思うんですけれど、古い習性は、消えるものではありませんね。
たくさんの人たちと出会ってきましたけれど、やっぱり、忘却の淵に、浮き沈みしていきます。歴史上の人々も、現実の人々も、同じように、浮き沈みしていく時空の存在になってしまいます。
一人ひとりの出会いと出来事を大事にしていくには、もう、時間もなくなりました。
要するに、振り返れば、ただ、風が吹いているだけ・・・
そんな生き方しかできなかったのですから、それはそれで、よかったのかもしれません。
風が吹いているだけで、
何にも残らなくても、Happyだと、感じているのですものね・・・
光堂も、儚い夢の痕・・・
人々のドラマを観ることなのでしょう。
光堂には、人々のドラマが、
森には、自然のドラマが、
そして、光は、人々も、森も、
あらゆるものを、等しく、照らしつづけてきたんですね。
露に光る光の美しさは、
やっぱり、かけがえのないうつくしさなんだと、感じます。
暗がりの、微かな明かりも、やっぱり、うつくしいなと感じます。
特別美しいものも、在るに違いありませんけれど、
老仁は、もう、特別美しいものを求めようとも思わなくなりました。
それなりに、それなりに、
一つひとつが、うつくしい。
みにくいものなんて、
実は、ないんだって、そう、思うように、なってきました。
美しいと思うものも、
醜いと思うものも、
みんなつながりあって、
みんな支え合って、
この世界の営みが成り立っているんですものね・・・
けれど、やっぱり、あなたのあいがほしい・・・
煩悩も、また、よし。
(08-01-22)
以上、 【 転載 】 です。
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★★★ 『 今はまだ届かぬ思い汝も吾も浅きに拠りぬ深く降り行け 』瘋癲老仁妄詩134-03 へどうぞ!!! ★★★
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