2014年06月12日
『 ただ言葉色なき風に遊ばする 』青のくさみ「森女」遊泳
★ 。・。・゜♪゜・。・。★ 青のくさみ「森女」遊泳 ★ 。・。・゜♪゜・。・。★
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ただ言葉色なき風に遊ばする
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ただ言葉色なき風に遊ばする
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遊呼さん、いつも交心ありがとうございます。
同じ言葉で、人は、違う世界を語っていることも多くあるんですよ。
夫婦だって50年連れ添っても相通じないことがいっぱいあるのですからね。言葉は生き物ですけれど、その発した人の心の反映なんです。心はスタンスの表明ですけれど、スタンスを必ずしも正確に語ってくれるものでもありません。まして言葉はその時その時の情の有り様でニュアンスも意味も違ってくるんですよ。その上自意識の計らいが入るから、その時の内実は、その言葉を使った本人さえ確認できにくいものになってしまうこともあるんです。けれど言葉が形で残されると、1+1=2と同じ働きをします。言葉が証拠として裁きの材料になるんです。訴訟社会になって人は言葉を恐怖していく風潮さえはじまっています。
そんな中で人を根源的に理解することはとても難しいことなんです。
言葉を超えて共鳴共振するスタンスの確かめ合いをするのが公案なのでしょうね。そこで確かめ合ったスタンスで実際どう生きぬいていくのかを具体化していくのが聖胎長養なのでしょう。
一休さんの<純老、天然、殊勝を憎む。>を、どんなスタンスで真似して生きていくのか大切なことだと念っています。
一休さんは、ただ、超糞真面目ですから、凡愚老仁に真似できることではありませんけれどね・・・
つまるところは凡愚老仁はただの言葉遊びを楽しんでいるだけなのですから、真偽是非のらち外にあることも、忘れないでくださいね。
ただ言葉色なき風に遊ばする 仁
言葉の軽さ身をも浮かする
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Posted by 青柳仁 at 23:34│Comments(0)
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