2019年09月29日
『 おちておちて菩薩ほとめく秋の宵 』遊行游泳575交心zhp0108
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★ 遊行游泳575交心zhp0108
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おちておちて菩薩ほとめく秋の宵
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おちておちて菩薩ほとめく秋の宵
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★★★ 今日のそのまんま575で交心zhp01『 草の露ほどにちいさきものになれ 』 への交心です。!!! ★★★
いざ行きてわれとほとめけ月の森 仁
おちおちて菩薩ほとめく秋の宵 仁
★ 遊行游泳575交心交心zhp0106
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煩悩を友と遊ばん月の森
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煩悩を友と遊ばん月の森
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おはよう、遊呼さん。
今日もあい風交心ありがとう。
どこまでも天、という感じで、真っ青な秋空です。風もあい風のようにさわやかですよ。
ごて作り四畳半菜園から脱けだして、花野に遊びたくなる誘惑が宙にただよっています。
四畳半菜園に居ながら、銀河遊泳し、双葉の野菜さんたちと星屑遊びするのも大好きですけれど・・・
> 煩悩を突き抜けたとこ宙たかし 遊呼
突きぬけてほとめけ銀河遊ぶほど 仁
煩悩は突きぬけると、宝物ですよ。
やはり命の燃焼でしょうね。悲喜交々どれも味わい深い。
そして、終わってしまえば、どれも切なく、美しい。一瞬一生ですね。
豊かに煩悩を楽しみましょう。
煩悩を友と遊ばん月の森 仁
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2019年09月25日
フォト瘋癲老仁妄句『 夕焼けやいざ波に揺れ恍惚す 』zqq2501
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★★★ 都々逸で交心zxs0201『 先に惚れたが負けるは習い 伊弉冉さえも捨てらるる 』 へどうぞ!!! ★★★

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夕焼けやいざ波に揺れ恍惚す
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夕焼けやいざ波に揺れ恍惚す
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2019年09月23日
『 ひとりゆえひとりと和える秋桜 』物真似575zqq2303
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ひとりゆえひとりと和える秋桜
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01 コスモスやひとりとひとりめぐり逢う
02 彼岸花さえ声出すも人黙る
03 ひとりゆえひとりと和える秋桜
04 秋の宵ただただ妄句熱中心
05 コスモスのゆらぎの波の裾野まで
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ひとりゆえひとりと和える秋桜
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2019年09月21日
『 汝と在れば夢に果無し酔芙蓉 』フォト瘋癲老仁妄句zqq2002
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汝と在れば夢に果無し酔芙蓉
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汝と在れば夢に果無し酔芙蓉
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2019年09月17日
『 掌に女のあそぶ夜の秋 』青のくさみ交心hhy2701
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青臭会通信 青のくさみ NO・04 2000・02・27
> 『老子』第14章 無状の状、無物の象
視之而弗見、名之曰微。之聴而弗聞、名之曰希。揩之而弗得、名之曰夷。三者不可致詰。故混而為一。一者、其上不謬、其下不忽。尋尋呵不可名也、復帰于無物。是謂無状之状、無物之象。是謂忽恍。随 而不見其后、迎而不見其首。執今之道、以御今之有。以古始。是謂道紀。
> 守屋洋 訳
「道」とはどんなものか。
目で見ようとしても見ることができない。だから、形がないのである。
耳で聞こうとしても聞くことができない。だから、音がないのである。
手で捕らえようとしても捕らえることができない。だから、手がかりさえないのである。
これではその実態をつきとめようがないので、そういうものだとして認めるほかはない。
つまり「道」は、ありもしない幻ではなく、絶えることなく続いているが、「無」としか言いようのないものである。
形のない形、姿のない姿とも言えるし、「おぼろ」な状態と言ってもよい。
前から見ても後ろから見てもその姿をとらえることができないのである。
このような「道」が、太古から現在に至るまで、一貫して万物を支配している。これが「道」の本質なのだ。
> 張鍾元 訳
しっかりと見ないから、何も見えない。それは形のないものと呼ばれる。
しっかりと聞かないから、何も聞こえない。それは音がないものと呼ばれる。
しっかりとつかまないから、何もつかめない。それは実体のないものと呼ばれる。
これら三つをつきつめることはできず、混ざりあって一つになっている。
上にあっても明るくなく、下にあっても暗くない。
目に見えず、どんな名前でも呼びようがない。それはまた無に戻って行く。
それは形のない形と呼ばれ、イメージのうかばない形と呼ばれる。
それはつかまえにくいものである。近づいて行ってもその顔は見えず、ついて行ってもその後ろ姿は見えない。
遠い過去の「道」をつかまえ、現在あるものを制御すると、原始の始まりが理解できる。これが「道」の本質である。
「道」の本質を説明してくれていますが、とても不親切ですよね。私には結局何も語っていないようにしか思えません。それでも何とか考えてみます。
「道」の指示語として、「微」・「希」・「夷」と言っています。そういう性格のものであって、それは「道」の一面なのですよ。そんなものが混ざり合っているのが「道」なんです、と老子はとぼけているんですね。「道」はそんなに深いものだから、説明しようがないんだよ。結局、「道」とは<無>であるとしか言いようがないね(「復帰于無物」)。言葉遊びの好きな老子は(言葉嫌いの老子が、この頃ではことば遊びを楽しんでいるように思えてきました)、<無>としか言いようがないが、強いて、カッコつけて、これを言い直せば、「無状の状、無物の象」と呼んでもいいんだよ。だから、「道」はそんなふうにただただぼんやりしているものなんだ。「微」であり、「希」であり、「夷」なのだ、と最初に戻ってしまう。そして、結論、こうして、「道」はとらえ所のないものなんだけど、ずっと、万物を創造し、コスモスを生成してきたんだよ。
ともかく信じなさいよ。そして、TAOに入ってきなさいよ。
考える必要も、勉強する必要も、努力する必要もないんだよ。
TAOにつながる回路の中に入ってくればいいんだ。
それは難しいことじゃない。
入ろうと思えば入れるんだ。
本当にそう思えばね・・・。
またまた狐につままれたような気分の中を彷徨うほかありません。
けれど、仁も、又、言葉遊びをして、言葉を左脳的に読み込んでみたいと思います。
わけがわからん言葉というのは、不思議なもので、好奇心をそそるのですね。
「無物の象」なんていいじゃないですか。老子はネーミングの天才だったのかもしれませんね。具体的なイメージを持たないイメージ。
俳句は物を通して本質を開示するものなんですが、物を通さないで、たとえばいのちをイメージすることはできるのでしょうか・・・。
> ゆく春を瓦礫の影と見捨てたり 潔
やっぱり、「行く春」を「瓦礫」という具象でイメージ化してますよね。「瓦礫」を持ち出してはいるけれど、この句の本質は心象なんでしょう。
そして心象というのは、いつだって、ぼんやりしていて、恍たり、惚たりで、いのちの根源みたいなものを志向しています。心象の彼方にあるものは<いのちの故郷>なのではないかと思っています。
<いのちの故郷>とその<故郷の火>が伝わる俳句を創れたらいいなあ・・・と思っています。
TAO俳句の世界を創出したいですね・・・。
掌に女のあそぶ夜の秋 仁
流転逍遙甦る時
これは仁のTAO俳句開眼の一句です。
一見男の句ですが、TAO俳句では、男も女もありません。掌の主体は「私」なのですが、TAO俳句では、私もあなたもありません。私はあなたであり、あなたはみんなであり、みんなは一であり、一は全てであり、全ては無なんです。
掌は、だから、これら一切を畳み込んだ時空なんですね。掌は地上であり、地球であり、星であり、宇宙であるわけです。そんな中の女は、私であり、あなただというわけです。 あるいは、掌は子宮なのかもしれません。子宮はいのちの源泉。創造の源泉。子宮はいのちの故郷。いのちの故郷である子宮は同時に宇宙なんです。
TAOの回路に入れば、それを知ることができる。
「執今之道、以御今之有。以古始。是謂道紀」
「名之曰微」
見ようとしても見えないものが「道」なんだ。これを「微」と呼んでいるんだよ。
ああそうですか・・・。と言うほかありません。納得したようで、何も理解できていない。じゃあ、「微」って何ですか?
『漢辞海』を調べてみました。
「はっきりしない。うすぐらい」というのがあります。「きわめて小さい。ささやかなさま」というのもあります。老子好みですね。「精緻で巧妙なさま。深遠で理解しがたいさま」というのもあります。全く「玄之又玄」ですね。「衆妙之門」」ですよ。
驚いたのは、「数詞」としてあるのです。
「寸の百万分の一。≪ささいな事柄をたとえる≫というのです。
私は、ええっ!! と驚いてしまいました。
これは一大発見です。私は驚喜しましたね。だって、「寸の一万分の一」は「10のー43乗分の一」に近いじゃありませんか。計算はわかりませんが、これは、同一語ですよ。 ビッグバンの一と同じなんです。
「道」の説明なんですよ。「道」は「天地之始」なんですよ。「似万物之宗」なんですよ。偶然の符合なんでしょうか・・・。
老子は天地創成をビッグバンだと看破していたんではないでしょうか・・・。
そうだとすれば、老子の<無>をエネルギーの源泉として理解してきたことの内実が把握できたことになります。
宇宙の始まりは、プラスの世界とマイナスの世界の重なり合いだったそうです。
プラスとマイナスが重なると<無>なんです。
これは、もう、 「視之而弗見、名之曰微。之聴而弗聞、名之曰希。揩之而弗得、名之曰夷。三者不可致詰。故混而為一。」
ですよ。「見えず、聞こえず、得れず」ですよ。
プラスは「色」、マイナスは「空」と読み換えることもできます。
つまり、「色」と「空」が重なると、<無>なんです。
「色即是空」は=<無>なんですね。
「空即是色」も又<無>なんです。
「色即是空、空即是色」は<無>の二面性です。
私という個体から見れば、「私は空である」。空という宇宙の方から見れば、「宇宙は私である」というわけです。
宇宙が、その一部として、私になったのです。
宇宙は、その一部として、あなたにもなりました。
私もあなたも個体としては別々ですが、元々は、同じ者なんです。
宇宙は、又、その一部として、野の花にもなりました。そして、又、宇宙は、その一部として、蛇にもなりました。野の花も蛇もあなたも私も、元々は、同じ者なんです。元々は同じ者だから、野の花や蛇やあなたと私は交感できるのです。交感できるから、野の花を知り、蛇を知り、あなたを知ることが、私自身を知ることになるのです。
野の花のことを知らなかった私は、私自身のことを知らなかった私なのです。
あなたのことを知らなかった私は、私自身のことを知らなかった私です。
文学は神話に始まり、私小説に辿り着きましたが、これからは無私小説に向かって歩み始めるのではないでしょうか・・・。
芭蕉は<松のことは松に習え>と説きましたが、言い換えれば、<私のことは松に習え>ということだったのでしょう。
無私小説は、又、虫小説でもあるのですね。
グレゴール=ザムザは甲虫になりましたが、甲虫になった人間でした。それはあくまでも批評精神というものだったようです。フローベル流に「甲虫が私だ」というような小説が書きたいなぁと思いますねぇ・・・。けれど、私は、甲虫のことを何一つ知りません。足下の薺のことさえ知らないのです。
> よく見ればなずな花咲く垣根かな 芭蕉
芭蕉も、おそらく、薺のことをそれほど知っていたわけではないでしょう。けれど、芭蕉は、垣根に密かに咲いている薺の花にさえ心を奪われるほど、いのちを愛おしんでいたということを驚異として感じます。
ひょっとすると芭蕉は無私文学の源流なのかもしれません。
> ただひとつ必要なことは
もう少し気をつけるだけ
自分の目の前にあるものに
あなたが目をやり、見、注目できるように
ーパグさんの『TAO』P93
薺の花に芭蕉は何を幻視したのでしょうか・・・?
ひょっとすると、<無物の象>を幻視したのかもしれませんね。芭蕉も、又、老子の徒でした。<物の見えたる光を言い止むべし>。
> 古池や蛙飛びこむ水の音 芭蕉
芭蕉は「蛙」を見ていたのでしょうか・・・?
それとも、「水の音」から、蛙を幻視したのでしょうか・・?
芭蕉は春まだ遠い古池の辺りにいて、瞑想していたのではないか、そんな気がします。 瞑想の中で<無物の象>を感受していた。
来るべき春の兆しが荒涼とした古池の辺りにも充溢している気配を楽しんでいる。草木の芽吹き、虫たちの息吹、弱々しい日差しの中にいのちを放下していた・・・。すると、唐突に、ポチャンと水の音がした。「おお、蛙の奴め、じっとしとけず水に飛びこんだな。おお、スプリング!」
蛙は現実蛙だったんでしょうが、<無物の象>の交感の中では、蛙は、蛙であって、もう、蛙ではなくなるのです。蛙は、蛙を越えて、スプリング、春の精になっているのです。蛙が春の精になるとき、芭蕉は蛙になっている。それらの変貌、転身が、「水の音」という一瞬の間に、引き起こされる奇蹟的な至福の体験があるのです。
そして、その「一瞬の至福の体験」は一瞬の内に「永遠」を孕んでいるのです。
私は、TAO俳句について、考えはじめてから、芭蕉の見方が変わりました。
芭蕉をTAO俳句の師と考えて見ようと念っています。
> 女あり
二人ゆく
若きは うるわし
老いたるは なお うるわし ホイットマン

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視之而弗見、名之曰微。之聴而弗聞、名之曰希。揩之而弗得、名之曰夷。三者不可致詰。故混而為一。一者、其上不謬、其下不忽。尋尋呵不可名也、復帰于無物。是謂無状之状、無物之象。是謂忽恍。随 而不見其后、迎而不見其首。執今之道、以御今之有。以古始。是謂道紀。
> 守屋洋 訳
「道」とはどんなものか。
目で見ようとしても見ることができない。だから、形がないのである。
耳で聞こうとしても聞くことができない。だから、音がないのである。
手で捕らえようとしても捕らえることができない。だから、手がかりさえないのである。
これではその実態をつきとめようがないので、そういうものだとして認めるほかはない。
つまり「道」は、ありもしない幻ではなく、絶えることなく続いているが、「無」としか言いようのないものである。
形のない形、姿のない姿とも言えるし、「おぼろ」な状態と言ってもよい。
前から見ても後ろから見てもその姿をとらえることができないのである。
このような「道」が、太古から現在に至るまで、一貫して万物を支配している。これが「道」の本質なのだ。
> 張鍾元 訳
しっかりと見ないから、何も見えない。それは形のないものと呼ばれる。
しっかりと聞かないから、何も聞こえない。それは音がないものと呼ばれる。
しっかりとつかまないから、何もつかめない。それは実体のないものと呼ばれる。
これら三つをつきつめることはできず、混ざりあって一つになっている。
上にあっても明るくなく、下にあっても暗くない。
目に見えず、どんな名前でも呼びようがない。それはまた無に戻って行く。
それは形のない形と呼ばれ、イメージのうかばない形と呼ばれる。
それはつかまえにくいものである。近づいて行ってもその顔は見えず、ついて行ってもその後ろ姿は見えない。
遠い過去の「道」をつかまえ、現在あるものを制御すると、原始の始まりが理解できる。これが「道」の本質である。
「道」の本質を説明してくれていますが、とても不親切ですよね。私には結局何も語っていないようにしか思えません。それでも何とか考えてみます。
「道」の指示語として、「微」・「希」・「夷」と言っています。そういう性格のものであって、それは「道」の一面なのですよ。そんなものが混ざり合っているのが「道」なんです、と老子はとぼけているんですね。「道」はそんなに深いものだから、説明しようがないんだよ。結局、「道」とは<無>であるとしか言いようがないね(「復帰于無物」)。言葉遊びの好きな老子は(言葉嫌いの老子が、この頃ではことば遊びを楽しんでいるように思えてきました)、<無>としか言いようがないが、強いて、カッコつけて、これを言い直せば、「無状の状、無物の象」と呼んでもいいんだよ。だから、「道」はそんなふうにただただぼんやりしているものなんだ。「微」であり、「希」であり、「夷」なのだ、と最初に戻ってしまう。そして、結論、こうして、「道」はとらえ所のないものなんだけど、ずっと、万物を創造し、コスモスを生成してきたんだよ。
ともかく信じなさいよ。そして、TAOに入ってきなさいよ。
考える必要も、勉強する必要も、努力する必要もないんだよ。
TAOにつながる回路の中に入ってくればいいんだ。
それは難しいことじゃない。
入ろうと思えば入れるんだ。
本当にそう思えばね・・・。
またまた狐につままれたような気分の中を彷徨うほかありません。
けれど、仁も、又、言葉遊びをして、言葉を左脳的に読み込んでみたいと思います。
わけがわからん言葉というのは、不思議なもので、好奇心をそそるのですね。
「無物の象」なんていいじゃないですか。老子はネーミングの天才だったのかもしれませんね。具体的なイメージを持たないイメージ。
俳句は物を通して本質を開示するものなんですが、物を通さないで、たとえばいのちをイメージすることはできるのでしょうか・・・。
> ゆく春を瓦礫の影と見捨てたり 潔
やっぱり、「行く春」を「瓦礫」という具象でイメージ化してますよね。「瓦礫」を持ち出してはいるけれど、この句の本質は心象なんでしょう。
そして心象というのは、いつだって、ぼんやりしていて、恍たり、惚たりで、いのちの根源みたいなものを志向しています。心象の彼方にあるものは<いのちの故郷>なのではないかと思っています。
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TAO俳句の世界を創出したいですね・・・。
掌に女のあそぶ夜の秋 仁
流転逍遙甦る時
これは仁のTAO俳句開眼の一句です。
一見男の句ですが、TAO俳句では、男も女もありません。掌の主体は「私」なのですが、TAO俳句では、私もあなたもありません。私はあなたであり、あなたはみんなであり、みんなは一であり、一は全てであり、全ては無なんです。
掌は、だから、これら一切を畳み込んだ時空なんですね。掌は地上であり、地球であり、星であり、宇宙であるわけです。そんな中の女は、私であり、あなただというわけです。 あるいは、掌は子宮なのかもしれません。子宮はいのちの源泉。創造の源泉。子宮はいのちの故郷。いのちの故郷である子宮は同時に宇宙なんです。
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「名之曰微」
見ようとしても見えないものが「道」なんだ。これを「微」と呼んでいるんだよ。
ああそうですか・・・。と言うほかありません。納得したようで、何も理解できていない。じゃあ、「微」って何ですか?
『漢辞海』を調べてみました。
「はっきりしない。うすぐらい」というのがあります。「きわめて小さい。ささやかなさま」というのもあります。老子好みですね。「精緻で巧妙なさま。深遠で理解しがたいさま」というのもあります。全く「玄之又玄」ですね。「衆妙之門」」ですよ。
驚いたのは、「数詞」としてあるのです。
「寸の百万分の一。≪ささいな事柄をたとえる≫というのです。
私は、ええっ!! と驚いてしまいました。
これは一大発見です。私は驚喜しましたね。だって、「寸の一万分の一」は「10のー43乗分の一」に近いじゃありませんか。計算はわかりませんが、これは、同一語ですよ。 ビッグバンの一と同じなんです。
「道」の説明なんですよ。「道」は「天地之始」なんですよ。「似万物之宗」なんですよ。偶然の符合なんでしょうか・・・。
老子は天地創成をビッグバンだと看破していたんではないでしょうか・・・。
そうだとすれば、老子の<無>をエネルギーの源泉として理解してきたことの内実が把握できたことになります。
宇宙の始まりは、プラスの世界とマイナスの世界の重なり合いだったそうです。
プラスとマイナスが重なると<無>なんです。
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ですよ。「見えず、聞こえず、得れず」ですよ。
プラスは「色」、マイナスは「空」と読み換えることもできます。
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「色即是空」は=<無>なんですね。
「空即是色」も又<無>なんです。
「色即是空、空即是色」は<無>の二面性です。
私という個体から見れば、「私は空である」。空という宇宙の方から見れば、「宇宙は私である」というわけです。
宇宙が、その一部として、私になったのです。
宇宙は、その一部として、あなたにもなりました。
私もあなたも個体としては別々ですが、元々は、同じ者なんです。
宇宙は、又、その一部として、野の花にもなりました。そして、又、宇宙は、その一部として、蛇にもなりました。野の花も蛇もあなたも私も、元々は、同じ者なんです。元々は同じ者だから、野の花や蛇やあなたと私は交感できるのです。交感できるから、野の花を知り、蛇を知り、あなたを知ることが、私自身を知ることになるのです。
野の花のことを知らなかった私は、私自身のことを知らなかった私なのです。
あなたのことを知らなかった私は、私自身のことを知らなかった私です。
文学は神話に始まり、私小説に辿り着きましたが、これからは無私小説に向かって歩み始めるのではないでしょうか・・・。
芭蕉は<松のことは松に習え>と説きましたが、言い換えれば、<私のことは松に習え>ということだったのでしょう。
無私小説は、又、虫小説でもあるのですね。
グレゴール=ザムザは甲虫になりましたが、甲虫になった人間でした。それはあくまでも批評精神というものだったようです。フローベル流に「甲虫が私だ」というような小説が書きたいなぁと思いますねぇ・・・。けれど、私は、甲虫のことを何一つ知りません。足下の薺のことさえ知らないのです。
> よく見ればなずな花咲く垣根かな 芭蕉
芭蕉も、おそらく、薺のことをそれほど知っていたわけではないでしょう。けれど、芭蕉は、垣根に密かに咲いている薺の花にさえ心を奪われるほど、いのちを愛おしんでいたということを驚異として感じます。
ひょっとすると芭蕉は無私文学の源流なのかもしれません。
> ただひとつ必要なことは
もう少し気をつけるだけ
自分の目の前にあるものに
あなたが目をやり、見、注目できるように
ーパグさんの『TAO』P93
薺の花に芭蕉は何を幻視したのでしょうか・・・?
ひょっとすると、<無物の象>を幻視したのかもしれませんね。芭蕉も、又、老子の徒でした。<物の見えたる光を言い止むべし>。
> 古池や蛙飛びこむ水の音 芭蕉
芭蕉は「蛙」を見ていたのでしょうか・・・?
それとも、「水の音」から、蛙を幻視したのでしょうか・・?
芭蕉は春まだ遠い古池の辺りにいて、瞑想していたのではないか、そんな気がします。 瞑想の中で<無物の象>を感受していた。
来るべき春の兆しが荒涼とした古池の辺りにも充溢している気配を楽しんでいる。草木の芽吹き、虫たちの息吹、弱々しい日差しの中にいのちを放下していた・・・。すると、唐突に、ポチャンと水の音がした。「おお、蛙の奴め、じっとしとけず水に飛びこんだな。おお、スプリング!」
蛙は現実蛙だったんでしょうが、<無物の象>の交感の中では、蛙は、蛙であって、もう、蛙ではなくなるのです。蛙は、蛙を越えて、スプリング、春の精になっているのです。蛙が春の精になるとき、芭蕉は蛙になっている。それらの変貌、転身が、「水の音」という一瞬の間に、引き起こされる奇蹟的な至福の体験があるのです。
そして、その「一瞬の至福の体験」は一瞬の内に「永遠」を孕んでいるのです。
私は、TAO俳句について、考えはじめてから、芭蕉の見方が変わりました。
芭蕉をTAO俳句の師と考えて見ようと念っています。
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2019年09月16日
フォト瘋癲老仁妄句『 なにごとも本音一条花木槿 』zxk1904
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なにごとも本音一条花木槿
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なにごとも本音一条花木槿
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2019年09月14日
『 この命この心好し夏の雲 』言葉あそび575zrs2607
★ 。・゜゜・。★ 言葉あそび575 ★ 。・゜゜・。★

山人さん、
お立ち寄りだけで嬉しいのに、交心までいただいて、おこころづかいありがとうございます。
できるだけ軽く、おもしろく、あそびこころで、老とも病とも、あるいは世情とも向かい合っていきたいと念っているのですけれど、素養のない鄙隠り老仁ですので、軽佻浮薄な言葉あそびに流れてしまいます。それでも、それが自分のあるがままでしょうから、あるがままを精いっぱい晒して、独り善がりに楽しませてもらっています。
老は、晒せば、見苦しいものなのでしょうけれど、どんなに見苦しいものであっても、自分の姿ですから、やっぱり受け容れ、労り、楽しみの素材として、重宝がっていこうと念っています。老いて、自分で自由に扱えるものは、粗悪品でも、この身しかありませんので、この身の現実であそぶしかありません。
ふりかえっても、ただ、風が吹いているだけ・・・そんな半生ですけれど、ああすれば好かった、こうすればこうもなっていたかもしれないと、念ったりすると、そのことが面白いやり直しイメージを湧かせてくれることに気がつきました。やり直しイメージは、迷路に消え去ることも多いのですけれど、じっくり妄想しはじめると、結構熱っぽい回想のはじまることも覚えました。
ひとりあそびの面白さにはまりはじめています。
比べず、選ばず、軽んぜず。目の前に湧き出る一つひとつを、おもしろおかしく楽しめるようになることを念じて、残る余生、ひとり、ことばあそびに耽りつづけたいと念っています。
友だちも、笑って、相手してくれませんけれど、ネットであそばせてもらっています。
妄想は嫌われものよ百日紅 仁
されどひとり夜恋より熱し
おしゃべりを甘えさせてもらいました。
笑って、ご寛容ください。
ありがとうございます。
以上、
★★★ 筑紫風575交心zrs2407『 これからをわがまゝに逝く無季の道 』 への交心です。!!! ★★★
> いまあるものでじゅうぶんだ、
と知るひとだけが、生きることの豊かさを知るんだよ。
その豊かさは命の喜びだ。それを
否定して、欲するなと
言うんじゃないんだーーー
命の喜びを越えたら、
どこかで止めることさ。それだけさ。
すると
静けさと平和
このふたつが見つかるーーー
それが豊かさなんだよ。 。。。加島祥造『求めない』p170
この命この心好し夏の雲 仁
風に吹かれてころころ転べ

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★★★ 筑紫風575交心zqv0707『 追憶に花を咲かせん夏山路 』 へどうぞ!!! ★★★
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老は、晒せば、見苦しいものなのでしょうけれど、どんなに見苦しいものであっても、自分の姿ですから、やっぱり受け容れ、労り、楽しみの素材として、重宝がっていこうと念っています。老いて、自分で自由に扱えるものは、粗悪品でも、この身しかありませんので、この身の現実であそぶしかありません。
ふりかえっても、ただ、風が吹いているだけ・・・そんな半生ですけれど、ああすれば好かった、こうすればこうもなっていたかもしれないと、念ったりすると、そのことが面白いやり直しイメージを湧かせてくれることに気がつきました。やり直しイメージは、迷路に消え去ることも多いのですけれど、じっくり妄想しはじめると、結構熱っぽい回想のはじまることも覚えました。
ひとりあそびの面白さにはまりはじめています。
比べず、選ばず、軽んぜず。目の前に湧き出る一つひとつを、おもしろおかしく楽しめるようになることを念じて、残る余生、ひとり、ことばあそびに耽りつづけたいと念っています。
友だちも、笑って、相手してくれませんけれど、ネットであそばせてもらっています。
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されどひとり夜恋より熱し
おしゃべりを甘えさせてもらいました。
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その豊かさは命の喜びだ。それを
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言うんじゃないんだーーー
命の喜びを越えたら、
どこかで止めることさ。それだけさ。
すると
静けさと平和
このふたつが見つかるーーー
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2019年09月11日
『 分かたんか独りであること虫の声 』遊行游泳575zwr2403
★ 。・。・゜♪゜・。・。★ 遊行游泳575 ★ 。・。・゜♪゜・。・。★

芽人さん、
いつも交心ありがとうございます。
ご教示の良寛さんの『ふるさと』探しだして遊泳させてもらいます。良寛さんの故郷への思いの深さを知りたいと思っていました。
親を捨て、故郷を捨てて利他行の遊行に入るのが良寛さんの求めるところだったのでしょうけれど、越後に戻ってしまったんです。
故郷に良寛さんが捨てきらないものがあったのでしょうね・・・
そして故郷だからできた全く新しい良寛さん固有の遊行世界が創造されていきました。
おそらくここまで子どもたちと一体化できた人間は世界にもそうたくさんはいないのでしょう。ぼくは無知だから世界にどんな人間がいたか知らないのですけれど、良寛さんほどに純真無垢にもなれた無心の人はいなかったのじゃないかと思ってしまいます。
子どもたちと一日中でも遊び三昧できて、子どもたちをエンパワーできた人はただの好々爺さんではなかったのでしょう。
古来継承されてきた風土としての故郷の火が共振し合って人間の根源的な共同体を創生しているのだろうと念います。
もし良寛さんが貞心尼さんと巡り会い、貞心尼さんが『蓮の露』を書き残さなかったなら、良寛さんは越後の一地方の好々爺で終わったかもしれません。良寛さんは縁者宛に数冊の自歌集を残しましたけれど、地方に埋もれたままだったかもしれません。よき郷土史家に恵まれて発掘されたかもしれませんけれど・・・
良寛さんが『ふるさと』に何を観ていたのか・・・
興味は尽きませんけれど・・・
ぼくごときが言葉あそびで真似良寛さんを遊んで理解できるようなものではありません。
芽人さん、これからも色色ご教示してくださいね。
分かたんか独りであること虫の声 仁
あなたわたしの境界交じる 14-08-24
以上、
★★★ 再録良寛さんの歌を遊ぶ0233tr24『 ほととぎす汝が鳴く声をなつかしみこの日くらしつその山のへに 』 への交心です。!!! ★★★

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芽人さん、
いつも交心ありがとうございます。
ご教示の良寛さんの『ふるさと』探しだして遊泳させてもらいます。良寛さんの故郷への思いの深さを知りたいと思っていました。
親を捨て、故郷を捨てて利他行の遊行に入るのが良寛さんの求めるところだったのでしょうけれど、越後に戻ってしまったんです。
故郷に良寛さんが捨てきらないものがあったのでしょうね・・・
そして故郷だからできた全く新しい良寛さん固有の遊行世界が創造されていきました。
おそらくここまで子どもたちと一体化できた人間は世界にもそうたくさんはいないのでしょう。ぼくは無知だから世界にどんな人間がいたか知らないのですけれど、良寛さんほどに純真無垢にもなれた無心の人はいなかったのじゃないかと思ってしまいます。
子どもたちと一日中でも遊び三昧できて、子どもたちをエンパワーできた人はただの好々爺さんではなかったのでしょう。
古来継承されてきた風土としての故郷の火が共振し合って人間の根源的な共同体を創生しているのだろうと念います。
もし良寛さんが貞心尼さんと巡り会い、貞心尼さんが『蓮の露』を書き残さなかったなら、良寛さんは越後の一地方の好々爺で終わったかもしれません。良寛さんは縁者宛に数冊の自歌集を残しましたけれど、地方に埋もれたままだったかもしれません。よき郷土史家に恵まれて発掘されたかもしれませんけれど・・・
良寛さんが『ふるさと』に何を観ていたのか・・・
興味は尽きませんけれど・・・
ぼくごときが言葉あそびで真似良寛さんを遊んで理解できるようなものではありません。
芽人さん、これからも色色ご教示してくださいね。
分かたんか独りであること虫の声 仁
あなたわたしの境界交じる 14-08-24
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2019年09月11日
『 星屑の言葉の川を流れゆけ 』遊行游泳575zwr2501
★ 。・。・゜♪゜・。・。★ 遊行游泳575 ★ 。・。・゜♪゜・。・。★

芽人さん、ご丁寧な交心痛み入ります。
芽人さんにそう聞かされると無学無才のぼくなどもう言葉あそびもできなくなります。
読書をしてこなかった半生を今さらながら悔やみますけれど半生は半生でぼくなりに精一杯ぼく流の仕事をしてきたんだと自分を労ってやるほかありません。リタイアして学ぶ喜び知る楽しみで、好奇心全開しましたがもう追いつけません。
何かひとつでも極めたいと念じても及ぶはずもありませんから、ぼく流に知る楽しみと言葉あそびで自足したいと念じています。
言葉あそびで、学を断てば憂い無しと嘯き、虚の極みに達し静を守れば安らかなりと鄙隠りを遊んでいます。ひとり遊びだから人の承認も要りませんし気楽なものです。
人の本性や素養、インテリジェンスは隠しようなく表れているものですから、未熟なまんまの幼稚な言葉遊びで自足する卑小さもまた好しと楽しませてもらっています。
こんな幼稚なひとり遊びの言葉あそびには人も寄ってこないし、ちょっと立ち寄ってくれた人もすぐ辟易して立ち去ってもらいます。
そのしばしの立ち寄りが嬉しくてBLOGのネットサーフィンをさせてもらっています。
それでも知る楽しみには際限がありませんから死ぬまで退屈せずにすみますし、真似良寛さん、真似一休さんと、汲み尽くせない古人の時空を遊泳できますから自己満足に事欠きません。
知的な遊戯さえ三昧できそうでHappyです。
前にも呟かせてもらいましたが良寛さん一休さん真似の後には、賢治さん真似の時空が残っていますので、まだ死にとうないと、生きもうけに欲が出てきました。
銀河を遊びながら日常の足許に存命の歓びを味わうことができそうな気がしてきます。
これも言葉あそびの功徳でしょうか。
楽しいだけで功徳も要りませんけれど・・・
星屑の言葉の川を流れけり 旅仁
舵取りの妙溺るるも妙
白川さんの字解は言葉あそびの宝庫です。虜になってしまいます。
はじめに言葉ありきの<はじめの言葉>のビッグバンがロゴスを増殖しつづけ、文化を多様化させてきたのでしょうけれど、その言葉の(漢字の)素粒子領域まで発見されたような感じですね。若い時に出会っていたら弟子入りしていたかもしれませんけれど・・・
白川さんの文化論を理解してのち古人の辿り直しをしたら新しい精神史あるいは文化史が構築されるかもしれません。
しかしそのあとでもなお、一休さんや良寛さんの到達地平は、超現代的な世界観を開示しているのかもしれないとも想像して楽しんでいます。
モラルだけでは解けない時空でしょうね・・・
ダリやピカソの異次元時空の表出とも通底しているのかもしれません。
名の名となすべきは常の名に非ず、ですね。
また言葉あそびで妄想を呟かせてもらいました。
笑って、ご寛容ください。
銀河より戻りし浦島太郎かな 仁
老死なければ是非もなからん
利口という魔界
常識という妖怪
欲望という万鬼
肉色のリアリティのど真ん中を
水色のタオイックラブが流れる 五行詩zwr2802
よく観れば自縛妖怪百夜行 仁
銭妖怪のお零れ強請り

★ 遊行游泳575zwr2801
――★♪♪★―――――――――――――★♪♪★――
よく観れば自縛妖怪百夜行
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――★♪♪★―――――――――――――★♪♪★――
よく観れば自縛妖怪百夜行
――★♪♪★―――――――――――――★♪♪★――
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★★★ 都々逸で交心tr1007『 大地の縁大知の絆 プラトンさえも知らぬ恋 』 へどうぞ!!! ★★★
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2019年09月11日
フォト遊行游泳575『 向き向きに粧う山のごとくあれ 』hrp1202
★ 。・。・゜♪゜・。・。★ 遊行游泳575で交心 ★ 。・。・゜♪゜・。・。★

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2019年09月10日
『 大阿蘇の銀河の下で逝かんかな 』遊行游泳575zvt1801
★ 。・。・゜♪゜・。・。★ 遊行游泳575 ★ 。・。・゜♪゜・。・。★

月呼さん、
交心ありがとうございます。
今から夜空が美しくなりますね。
月呼さんが羨ましい。いつでもこの美しい夜空の下を遊泳していらっしゃる。
行動派の月呼さんはいろいろの夜空を見てこられたのでしょうね。
鄙隠り老仁はただだだっぴろく、闇を失った筑後平野のど真ん中の夜空からほとんど出たことがないんです。
井の中の蛙、壺の中の瘋癲老仁の半生でした。
空想三昧が習性です。
空想時空を遊泳すると全くの暗黒です。
暗黒なのに、星座がきらめいている。
不思議で面白い。
でも若い頃は休暇を利用して、阿蘇の夜空をよく見に行きました。
草原で寝転がって見る夜空を懐かしく想い出しました。
青年期に見る夜空と余命の中で観る夜空は違うものなのでしょうね・・・・
余命のあるうちに、阿蘇の草原で、寝転んで、夜空を眺めたくなりました。
念じれば、実現する!
念じます。
実現したら、そのまま昇天しても好いくらいでしょうね・・・
大阿蘇の銀河の下で逝かんかな 仁
虚の夢見つつ虚の旅終われ 15-06-08
以上、
★★★ https://smcb.jp/diaries/6493026" target="_blank">めぐり逢い良寛さんzt0301st05『 夏の夜は心に星を抱きませ 』 への交心です。!!! ★★★

★ 。・。・゜♪゜・。・。★ 青柳仁リンク ★ 。・。・゜♪゜・。・。★
★★★ 筑紫風575交心zqv0206『 散るさくら忍びの月を幻視せん 』 へどうぞ!!! ★★★
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今から夜空が美しくなりますね。
月呼さんが羨ましい。いつでもこの美しい夜空の下を遊泳していらっしゃる。
行動派の月呼さんはいろいろの夜空を見てこられたのでしょうね。
鄙隠り老仁はただだだっぴろく、闇を失った筑後平野のど真ん中の夜空からほとんど出たことがないんです。
井の中の蛙、壺の中の瘋癲老仁の半生でした。
空想三昧が習性です。
空想時空を遊泳すると全くの暗黒です。
暗黒なのに、星座がきらめいている。
不思議で面白い。
でも若い頃は休暇を利用して、阿蘇の夜空をよく見に行きました。
草原で寝転がって見る夜空を懐かしく想い出しました。
青年期に見る夜空と余命の中で観る夜空は違うものなのでしょうね・・・・
余命のあるうちに、阿蘇の草原で、寝転んで、夜空を眺めたくなりました。
念じれば、実現する!
念じます。
実現したら、そのまま昇天しても好いくらいでしょうね・・・
大阿蘇の銀河の下で逝かんかな 仁
虚の夢見つつ虚の旅終われ 15-06-08
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2019年09月07日
『 森にいてただただ静か老の秋 』物真似575zqq0705
★ 。・。・゜♪゜・。・。★ 物真似575zqq07 ★ 。・。・゜♪゜・。・。★


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★ 物真似575zqq0705
――♪♪♪♪―――――――――――――♪♪♪♪――
森にいてただただ静か老の秋
――♪♪♪♪―――――――――――――♪♪♪♪――
01 すれ違いばかりが増える老の秋
02 わが心何に似たるや赤蜻蛉
03 蜻蛉に眼光もらい観る明日
04 見る前に翔べと蜻蛉の教唆する
05 森にいてただただ静か老の秋
――♪♪♪♪―――――――――――――♪♪♪♪――
森にいてただただ静か老の秋
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01 すれ違いばかりが増える老の秋
02 わが心何に似たるや赤蜻蛉
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2019年09月05日
『 帰り来る人待つばかり秋の暮れ 』遊行游泳575hqp2501
★ 。・。・゜♪゜・。・。★ 遊行游泳575 ★ 。・。・゜♪゜・。・。★

遊呼さん、今日も交心ありがとうございます。
けれど、「さようなら」はかなしい言葉ですね。
おはようがあれば、さようならがあるものですけれど、
同じ星の子として生まれ、
同じこの星で巡り会い、
同じ命としてつながり愛、
そして、また、
同じ夜空にもどり、
光り愛、響き愛して、
移り変わるんです。
だから、仁は、
「さようなら」は、そういうことだから、また、行ってくるよ、という意味で使うことにしています。
「いってきます」
そして、また、帰ってくるんです。
いつでも、どこでも、だれにでも、
「いってきます」
待っている言葉は、
「おかえり」
死も、また、仁には、「いってきます」です。
認知症を免れれば、「いってきます」といって、逝きたいと念じているんですよ。
「いってきます」には「ただいま」がついていますから、
どこへいくにしても、安心感がありますね。
開いた、やわらかい言葉で、いってきます。
開いた、やわらかい言葉で、ただいま。
> さよならとはっきり告げる秋の暮れ 遊呼
「はっきり」という言葉が、遊呼さんそのまんまなのでしょうね。
あいまいさを許さない強い響きがあります。
生きぬいていく強さでしょうね。
仁にはないものでした。
いつもあいまいに、あいまいに、ごめんなさいと感じながら生きてきたような気がします。太宰さんの真似をして生きてきたのでしょうね。今やっと良寛さんに巡り逢えて、ごめんなさいとありがとうが同じことだったんだと気づきはじめました。
ありがとうがあるから、ごめんなさいがあるんですね。
ただいまがあるから、いってきますがあるんですね。
遊呼さん、いつも理屈ばかり話して、ごめんなさい。
それでも交心してくれて、ありがとう。
帰り来る人待つばかり秋の暮れ 仁 09-10-25
★ 。・。・゜♪゜・。・。★ 青柳仁リンク ★ 。・。・゜♪゜・。・。★
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★ 遊行游泳575hqp2501
――♪♪♪―――――――――――――♪♪♪――
帰り来る人待つばかり秋の暮れ
――♪♪♪―――――――――――――♪♪♪――
――♪♪♪―――――――――――――♪♪♪――
帰り来る人待つばかり秋の暮れ
――♪♪♪―――――――――――――♪♪♪――
遊呼さん、今日も交心ありがとうございます。
けれど、「さようなら」はかなしい言葉ですね。
おはようがあれば、さようならがあるものですけれど、
同じ星の子として生まれ、
同じこの星で巡り会い、
同じ命としてつながり愛、
そして、また、
同じ夜空にもどり、
光り愛、響き愛して、
移り変わるんです。
だから、仁は、
「さようなら」は、そういうことだから、また、行ってくるよ、という意味で使うことにしています。
「いってきます」
そして、また、帰ってくるんです。
いつでも、どこでも、だれにでも、
「いってきます」
待っている言葉は、
「おかえり」
死も、また、仁には、「いってきます」です。
認知症を免れれば、「いってきます」といって、逝きたいと念じているんですよ。
「いってきます」には「ただいま」がついていますから、
どこへいくにしても、安心感がありますね。
開いた、やわらかい言葉で、いってきます。
開いた、やわらかい言葉で、ただいま。
> さよならとはっきり告げる秋の暮れ 遊呼
「はっきり」という言葉が、遊呼さんそのまんまなのでしょうね。
あいまいさを許さない強い響きがあります。
生きぬいていく強さでしょうね。
仁にはないものでした。
いつもあいまいに、あいまいに、ごめんなさいと感じながら生きてきたような気がします。太宰さんの真似をして生きてきたのでしょうね。今やっと良寛さんに巡り逢えて、ごめんなさいとありがとうが同じことだったんだと気づきはじめました。
ありがとうがあるから、ごめんなさいがあるんですね。
ただいまがあるから、いってきますがあるんですね。
遊呼さん、いつも理屈ばかり話して、ごめんなさい。
それでも交心してくれて、ありがとう。
帰り来る人待つばかり秋の暮れ 仁 09-10-25
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2019年09月05日
『 刹那をも鏡の永久も愛す夏 』334-01瘋癲老仁妄句hrs08
★ 。・。・゜♪゜・。・。★瘋癲老仁妄句 ★ 。・。・゜♪゜・。・。★

★ 瘋癲老仁妄句344-01hrs08
――♪♪♪―――――――――――――♪♪♪――
刹那をも鏡の永久も愛す夏
――♪♪♪―――――――――――――♪♪♪――
――♪♪♪―――――――――――――♪♪♪――
刹那をも鏡の永久も愛す夏
――♪♪♪―――――――――――――♪♪♪――
すばらしい詩と輝く出会いのスパークに出会して、
じ~んとくるものがありました。
久しぶりのじ~ん。
何かが生まれるにしろ、
刹那的な光芒であるにしろ、
この巡り会いの現場に立ち合えたことを喜びます。
10年の歳月があって、
ここに立ち戻ることができるなら、
その時、
もういちど、
このじ~んとくるものが甦るだろうか・・・
みらくるのたまごのままでなつはてる 仁 08-07-08
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2019年09月02日
『 秋の空誠の道は尚遠く 』瘋癲老仁妄句95-01hsm10
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★ 瘋癲老仁妄句95-01hsm10
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秋の空誠の道は尚遠く
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心の叫びは、
必ず届くよ。
心に偽りがなく、
心を開いて、
本気で伝えればね。
本気で求めれば、
相手も、心を開いてくれるんだよ。
本気は伝わるんだよ。
誠は伝わるんだよ。
ただ、人は、弱いから、
本気になるまでに、
時間がかかるんだ。
誠に至るまでに、
臆病になってしまうんだ。
でこぼこ道を
裸足で歩き続けて、
はじめて知る
自分の心の誠。
秋の空誠の道は尚遠く 仁 07-11-10

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2019年09月02日
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